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さよなら蒲原鉄道
奥の細道の最北端〜象潟
奥羽線代行バス

奥の細道の最北端〜象潟


水田に奇怪な小山が浮かぶ
象潟もかつては海だった。

 

 カーテンを開けると他の2名ともちょうど起きた所だった。秋田ターミナルは何処に着くのかと思ったら、秋田貨物駅の前に新設されたターミナルに横付けされた。ターミナルは質素な外観に反して、内部は高くとられた吹き抜けのロビーがあり、エスカレーターが吹き抜け上方に向かって伸びていて小樽ターミナルを小さくした感じだ。ターミナルから土崎駅までは例によって歩いて行く。土崎駅までは2キロちょっと。だいたい30分強で歩ける。土崎からは酒田行の701系普通列車に乗る。フェリーの中で寝たつもりであったが、睡眠不足がまだ解消されておらず、再び爆睡してしまった。秋田で人が入れ替わっている感じはあったが、気づくとすでに象潟が近づいていた。
 象潟は奥の細道の最北端で、芭蕉が

象潟や 雨に西施が ねぶの花
(きさがたや あめにせいしが ねぶのはな)
<句意> 
象潟の雨に濡れて咲いている合歓<ねむ>の花は(かの美女の誉れ高い)西施が(目を閉じて)眠っているかのような趣である。

と詠んだ地である。

 羽越本線に乗っていると右手に、水田の中にたくさんの小山が浮かんでいるのを見た事がある人も多いことだろう。かつてこの付近は南北2Km、東西1Kmの入り江に無数の島々が浮かび、八十八潟、九十九島の絶景の地として呼ばれていた景勝であった。しかし、1804年(文化元年)の大地震で一夜にして地面が隆起し、陸地になってしまい、現在のような水田に小山が浮かぶ姿になった。もし地震がなかったら、松島同様に、東北の一大観光地のひとつだっただろうが、現在のようなもの寂しさすらある落ち着いた風情ではなかっただろう。
 象潟駅を出てからは国道を避けて一旦、旧街道沿いに歩く。立派な塀の家が並ぶ独特の道は一目に旧街道の匂いがするが、奥の細道の案内板があって、芭蕉が宿泊した家の跡などといった案内もあった。街道を抜けていくと左手に海望みながら小さな橋を渡る。この橋は欄干橋と呼ばれ、八十八潟、九十九島を一望できた場所である。1689年(元禄2年)旧暦の6月16日芭蕉は雨が振る中、この地にたどり着き一泊した。明けて翌日は晴れとなり、この橋から舟に乗って島々の遊覧に出た。今も残る能因島に舟を寄せ、対岸にある蚶満寺を訪れて、境内に咲く合歓の花に託して象潟の印象を有名な俳句に残した。

 再び国道7号を渡り、線路の対岸に出ると途端に穂を付ける直前の青い稲田に松が生えた小山がたくさん現れる。蚶満寺や能因島の方向に行くつもりであったが、道に迷っていると、不思議な家を見つけた。物置の屋根に大型のソーラーパネルが置いてあり、自作と思われる太陽熱温水器の姿も見える。
 3人の若者が不思議そうに見ているので、おばあさんが話し掛けてきた。おばあさんの話と後で調べた事を総合すると、おばあさんの旦那の、この家の主の木内三郎さんは、地域でも有名なエコロジイ研究家のようである。まず、家の中には薪、建築であまった端材、および家庭ゴミを燃やすボイラーがあり、それで、家の中の暖房、風呂の給湯をまかなっているようである。夏場は暖房もしないのにボイラーを炊くのはもったいないので、庭で見た温水器でお風呂を沸かす。また、冬は暖房用として使っているボイラーのパイプに古井戸の井戸水を循環させ冷房として機能させている。冷房に使った水はそのまま捨てるのではなく、庭に散水して打ち水とし、涼しさを演出しいるようである。
 そして、Y氏注目の太陽光パネルであるが、国の補助を受けて導入したものである。これにより日中は発電した電力を電力会社に売り、発電できない夜間は電力会社から電気を買う事で、売った分と買った分はだいたいトントンであるとの話である。補助を受けても200万ほどしたと言うのであるから、モトを取るまで何十年もかかってしまうが、エネルギーのほとんどを自給自足し、ゴミもほとんど出さない生活ぶりには全く感服する。何でも、秋田県から度々表彰され、講演も数多く行っているようである。

 そんな話をしてもらいながら蚶満寺の裏門まで案内してもらった。
 おばあさんと別れて蚶満寺の境内に入る。芭蕉にゆかりの寺として知られる蚶満寺は、慈覚大師の創建と伝えられている。境内に入るとちょうど開館の時間だったようで、拝観料を払って境内に入る。庭園の中を抜けていくと、島々を一望できる場所に境内に「象潟や雨に西施がねぶの花」の句碑や石像が立っている。その下から水田の方へ降りていくと舟つなぎ石が。おそらく芭蕉はここから舟を降りて境内に入ったのであろう。

 蚶満寺、能因島と一通り見た後、帰りは国道7号線を素直に戻って象潟駅に戻ってきた。どうも今日は午後から天気が崩れるようで怪しい雲行きとなってきた。
 

 


写真で見ると素っ気無いターミナルだが
内部は立派な秋田ターミナル

 


本日のトップランナーは701系


象潟駅から旧道を歩く
芭蕉が宿泊した家の跡などがある。
(解説の案内看板があるので親切だ。)


おなかを壊したので
カゼイシロタ菌を投入
(商店の前にて)


かつては八十八潟九十九島が
見渡せたといわれる欄干橋
芭蕉もここから船に
乗って潟めぐりに出た


象潟でみかけた
エコロジー研究家の方の家
ソーラーパネルや温水器が見える

 


芭蕉の銅像の前にて
ここが奥の細道の最北端

 

   

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