葛和田ねっとのトップ表紙へ戻る前のページ次のページ 乗車ログ 土合セレクション
さよなら蒲原鉄道
奥の細道の最北端〜象潟
奥羽線代行バス

さよなら蒲原鉄道


全長4キロ余りのさなローカル私鉄も
とうとうお別れの時が来た

 

 この後は蒲原鉄道に乗るため、一旦、磐越西線に乗り継いで五泉に向かう予定であるが、発車は13:51のため、1時間ほど時間がある。一旦改札口を出て、デジタルツーカーのショップを見つけてエリアマップをもらい、その後にラーメンを食べて時間を潰した。
 13:51。磐越西線に乗り継ぐ。やってきたのは新潟色のキハ40系(だったと思う)である。新津を出ると左にカーブして磐越西線に入っていくが、この列車がまた遅い。キハ40であるから仕方ないのであろうが、エンジン音の唸りに反してほとんどスピードは上がっていかない。
 亀のような足取りで17分かけて五泉に到着。五泉に着くとすでに、黄色と茶色の塗装の電車が止まっている。これから乗る蒲原鉄道の車両である。磐越西線で14:08に五泉についたが、この列車の発車は発車は14:13分。乗り継ぎがいいので、小走りで乗り換えホームに向かう。乗り換え改札はない。止まっている電車はモハ61。もともとはあの西武鉄道で走っていた車両で、西武時代の車号はクハ1322。車内の名盤にも西武所沢車両工場の文字が見える
  車内は意外と人が乗っており、だいたい30人くらいだろうか。車内をゆっくり観察する暇もなく、発車時刻となり、
「プアン」
と短くタイフォンを鳴らし、発車した。
「グオオオーーーービリビリ」
と釣り掛けサウンドを鳴らしながら右に大きくカーブして行く。
「プアン!プアン!」
と連続でタイフォンを鳴らしつづけているので何かと思ったら撮影ファンが線路の至近で撮影している。廃止まぎわとあって、沿線には撮影をするファンが多く運転に気を遣うのだろう。ちなみに、車内のほとんどは地元客で、ファンは数人だった。
 まもなく、県道と並行する区間になり、水田の中をまっすぐに走っていく。速度が落ちて停車すると唯一の中間駅である今泉に到着。ここで小学生が5名ほど降りる。再び水田の中を走り、息つく暇もなく、細かく警笛を鳴らしながら村松に到着した。
 改札口を出る。県道を五泉よりに少し行くと蒲原鉄道の車庫がある。面白い事に、車庫の構内を真横に貫く一般道路の長い構内踏切があり、合法的に車庫内が見学できてしまう。
 村松の車庫はは全長4.2Kmの鉄道にしてはあまりにも大きい。2両もあれば間に合ってしまうダイヤなのに、車庫には数多くの車両の姿が見える。籍のある車両は旅客用の電車が5両、凸型電機1両、他に貨車が数両と除雪用の車両があるようである。。凸型電機の名盤には昭和5年と記されていた。

 村松駅が大きいのは訳がある。蒲原鉄道はかつて、加茂まで延びていた。蒲原鉄道は1923年(大11)に現在の区間の五泉−村松間が開業した。その後、1930年(昭5)に五泉−加茂間の全線が開通した。戦後、モータリゼーションのあおりで経営が苦しくなり、1985年(昭60)利用者が少なかった村松−加茂間が廃止となり、現在の姿となった。信越本線で加茂駅に進入する際に頭上に古びたガーター橋がまたがっているのに気づいた人もいるかもしれないが、それがかつて蒲原鉄道が加茂に乗り入れていた名残である。
 新潟では越後交通1995(平7)年、そして今年1999年(平11)は新潟交通が全線廃止となり、蒲原鉄道は新潟に残る唯一の私鉄となっていた。当初蒲原鉄道は新潟鉄道の後を追うように、今年3月には廃止されると言われていたが、秋まで廃止は延期となり、凸型電機によるイベント列車の運転など元気な姿を見せてくれていた。しかしながら6月に代行バスなどの概要が決まり、9月、運輸省の運輸審議会で廃止の申請が承認されて、10月3日の廃止が決定された。この記事が出ている頃には残念ながらすでに廃止になってしまっているはずである。

 蒲原鉄道のダイヤであるが、路線長が短く、廃止される鉄道にしては驚くほど本数が多い。村松駅の時刻表を見ると1日22本。ほぼ1時間に1本が確保されている。そして、ほとんどの列車が五泉で磐越西線と接続している。蒲原鉄道とJRを乗り継いで新潟まで約1時間。一見、見た感じではバス並に人が乗っており、このままでも採算がとれそうに見えるが、バス並の乗りでは、バスに代行できるとの裏返しでもあり、鉄道としては採算が取れなかったのだろう。

 さて、一通り蒲原鉄道を見たので、これからY氏と合流予定の新潟へ向かう事にする。新潟へは高速バスを選択する。村松から新潟までは蒲原鉄道とJRを乗り継いで約1時間、480円と280円で760円であるが、その乗り継ぎに対して存在するのが、村松−新潟間の高速バスである。所用時間は同じく約1時間、運賃は610円である。市内バスでも500円を超える事のある御時世に破格の値段である。 
 新潟へはこのバスに乗車してみる事にする。バスは村松駅構内のバス停から発車しており、高速バスの札が立っている。このバスは蒲原鉄道と新潟交通の共同運行であるが、やって来たのは新潟交通のバスだった。
 三々五々集まってくる乗客を乗せ、だいたい15人ほどの乗りで出発する。同じ時間帯であるが電車より客が少ない印象であった。村松を出て、五泉までは、ほぼ蒲原鉄道に沿って走っていく。この道が道路幅が狭い割には中途半端な交通量があり、前方に曲がる車があると流れが滞り、なかなか進まない。すぐ右に沿って蒲原鉄道が走っているので、廃止後は2車線化すれば流れがスムーズになりそうだ。
 五泉の市街地を通り抜け、磐越自動車道の安田ICに到着。高速に入る車もまばらであるが、ご苦労な事に警官がシートベルト検問をしていた。ここから磐越自動車道に乗り新潟方面に向かう。磐越自動車道は2年前、長野新幹線と同じ年に全線開通したが、大部分が対面通行である。この区間も新津の先まで、対面通行であり、最高速度は70Km/hに制限されている。前方に1台でも遅い車がいると追い越す事もできずトロトロと走るしかないが、この日は流れもスムーズで、遅れている事もあってか100Km/h近くで走行する。磐越道内のバス停でも停車が設定されており、途中から1名が乗車してきた。
 新津の先から2車線になり、新潟中央ジャンクションを直進し新潟中央ICで高速を降り新潟市街に入った。ここからがまた流れが悪く、渋滞とまではいかないもののノロノロ運転が続いた。一旦信濃川を渡り、関屋の所から新潟交通の路面区間跡に沿って右折し、越後線のガードの所で一旦右折して別れるが市役所前、すなわち新潟交通の白山前駅があった場所で再び新潟交通の跡に合流した。前々回の山寺会談で歩いた場所だ。全くなんという取り合わせだろうか。新潟には越後交通、新潟交通、蒲原鉄道が残っていたが、今回の蒲原鉄道の廃止でとうとう新潟の私鉄は姿を消してしまう事になる。
 市役所の前を抜け万代橋で再び信濃川を渡るといよいよ新潟駅は近い。安田ICから新潟中央ICまでは15分ほどで着いてしまったのに、村松、新潟側共に市内区間でスピードが上がらないため、大幅に所要時間を食ってしまった。間に合ったら18:26発の越後線に乗って弥彦まで往復しようと思っていたが、10分ほど遅れ、結局間に合わなかった。今思えば関屋駅のすぐ傍を通ったのだから途中のバス停で降りてしまえば良かった。もう後の祭だが。

 新潟に着くと、Y氏は17時頃に新潟に到着の予定との話だったが大幅に遅れて21時過ぎになるとの連絡が入った。4時間近くも時間を持て余してしまい、ヨドバシカメラの中を覗いてウィンドショッピングをしたり、モールで食事を取ったりしたが、それでも時間が余ってしまった。思えば、前日は午前3時までバイトをしていてロクに寝ないで出てきたため、立っているのもつらくなった。ここで、引き続いてヨドバシカメラでウィンドショッピングをするというT橋氏と別れ、万代口の待合室で爆睡していた。
 21時を過ぎるとちょうどT橋氏も待合室にやって来たので、Y氏を出迎えに改札に出る事にした。新潟に着いた時から気になっていたのだが、改札の前の公衆電話の一部にICカード式の公衆電話がある。お馴染みのグレ電(グレーのISDNカード電話機)と比べても奇抜なその電話機に近づく人も少ない。
「Yさん来れば、コレ使いますかね。」
とT橋氏が言う
「見たらびっくりしてノート取り出すだろう。でもICカードのテレカなんて持ってるのかな」
「でも横のキオスクで売ってますよ。」
「なるほど、IrDA接続用のドライバーは入ってるって言ってたから、見た瞬間にカードを買ってでも試すだろう」
そんな会話をしているうちに列車の到着時刻になったので、改札口に移動した。
 間もなく長岡方面からの普通列車が到着し、Y氏が降りて来た。相変わらずTR1000を下げた姿は遠目にも分かりやすい。改札口を出るなり、
「いやあ、参ったよ・・・・と」
いつもどうり間に合わなかった時の会話が交わされた。まあ、遅刻するはお互い、いつもの事なのでそれはそれでよかった、で、ICカード電話の話をすると
「東京でもまだ少ないんだから新潟にはないんじゃないの」
と疑いの言葉が・・・。
そこで電話機に案内すると予想どうり両手をあげて仰天していた。そして次の瞬間にはデイバックの中からノートパソコンが、(一体この人は何者)そして手慣れた手順て電話帳を積み上げ、パソコンをそこに置く。そしてICカードをスロットに差し(やはり持っていた)、パソコンのブラウザを立ち上げ、接続ソフトを開く。一体、何をしたのか分からないうちに、ページが表示され、掲示板の更新状況等が表示された。本当に簡単だ。

 
 さて、本当にICカード電話のお試し会が開かれるとは思ってもいなかったが、新潟駅を後にして新日本海フェリーのターミナルまで歩く事にする。ターミナルまではバスも出ているが例によって、まだ時間があるので、健康のため歩く事にした。ターミナルまでは、約4Km、40分程で着いた。

 乗る船は「ニューしらゆり」。かつて、新潟−小樽便の補助便的な扱いで運行していた船で、豪華さが売りの新日本海フェリーの船の中では古い船であるから、船内設備はあまり期待していなかった。しかし、小樽便から撤退した後に船内のリニューアルを受けたようで、ウッド調の品のいい内装になっており、最近の就航船とひけをとらない内装となっていたのには驚いた。フロントという表現が正しいような、船内の受け付けで寝台の指定を受け、2等寝台室に向かう。寝台セットもリニューアルを受けているようで、快適だ。本当は風呂に入ってから寝ようと思っていたのだが、例によって睡眠不足だったため寝台に入ったとたん爆睡してしまい、気づいたら秋田港に入るところで、出港すら気づかない爆睡ぶりだった。

  

 


五泉駅の端の小さなホームから出発
磐越西線との接続は良い


意外に人が乗っている車内

 


この電車はもとは西武で走っていた


木造の車庫研修庫の中に
整理された道具が並ぶ


全長4キロの小さな鉄道の
大きな車庫
電車はどれも大切に整備されている

 


村松から新潟までは高速バスに乗車


五泉に向かう途中
電車とすれ違う


磐越道に入り、快調に飛ばす
(この区間は対面通行)


深夜の新潟フェリーターミナルに到着

 

 

   
新潟駅にICカード電話が




 IrDAポートの付いた電話はコードを接続しなくてもノートパソコンに搭載された赤外線(IrDA)ポートでISDN64Kによる通信ができる電話である。IrDA電話は当初赤目グレ電こと通常のグレー電話タイプで登場し、人通りの多い所で見かけるようになった。最近は偽造が多かった現行のテレカに代わるICカードテレカに対応した電話が試験的に置かれるようになったが、この電話もIrDAポートを標準装備している。
 通信に必要なものは赤外線ポートがついたノートパソコンのみで、高価なTAカードなどは不要。あとはNTTのホームページからドライバーをダウンロードすれば使える。パソコンと電話機の赤外線ポートが向かい合った段階で交信が始まっているので、ICカード式の場合、カードを所定のスロットに置き、接続ユーティリティで接続操作するだけの超カンタン接続である。
問題なのはパソコンの赤外線ポートの位置。背面にある場合は問題ないが、パソコンによっては側面にある物がある。Y氏のパソコンも、側面にあるタイプで、一番右端の電話が空いていないと操作できないとぼやいていた。
 もう一つ興味を持ったのがICカードテレカ。形状は通常のテレカと変わりない感じがするが、全体に、紙っぽい質感である。使い方は通常のテレカとは異なり、指定された端部を少しちぎってから使う。カードを透かしてみると円形の線が多数走っており、これがアンテナの役目を果たして非接触式でデータの交換ができる。非接触式であるから、電話機に差し込む以前のテレカと違い、スロットに置くだけといった感じ。カードの残額が少ない場合は2枚重ねて置くだけでいい。通常のテレカの場合は抜く時に警告音が鳴るが。こちらはスロットに置いてあるだけで通話が終わっても警告音がしないので、通信が終わった後のICカードの置き忘れに注意しないといけなそうだ。
今のところ、カード及び端末は現行のカードと互換性がなく、硬貨も使えないので、電話機はICカードでのみ使用可能になっている。この電話、考えてみれば駆動部が全くないので、メンテナンスが楽そうだ。グレ電や緑電話はたまに、蓋を開けて駆動部やセンサー部をメンテナンスしている光景を見るが、この電話は硬貨も使えないので、ほとんどいじる所がない。本当のねらいはメンテナンスコストの低減にあるのかもしれない。

葛和田ねっとのトップ表紙へ戻る前のページ次のページ 

 


Thank you for your watching!
This contents is produced by
KUZUWADA-NET
Copyright1997
KUZUWADA-NET