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現地四日目日三月二一日(火) 宗谷岬


最果ての町をめざす


六時半、札幌着。北海道の夜行はどれも終点に六時か六時半キッカリに到着す るので面白い。今日は初日に乗った<オホーツク1号>を旭川で急行<礼文>に乗り継ぎ、最果ての 町、稚内をめざす。 朝の札幌はまだラッシュは始まっていないらしく、人は疎らで、時折各方面か らの普通列車の到着と共に人が動くのみである。旧駅舎寄りのホームには、普通列車に混じって、遠 路、網走からやってきて車庫入りを待つ<オホーツク10号>の183系気動車や発車を待つ函館行きの <スーパー北斗2号>の新鋭281系気動車の姿も見える。ここ札幌でも駅の構内放送やLED表示板 は昨日の東京の「地下鉄サリン事件」を取りあげて、不審な物があったら係員まで連絡するようにと 繰り返しており、この事件の与えた波紋の大きさを物語る。

<ミッドナイト>が苗穂方に引き上げると間もなく桑園方から<オホーツク1 号>が入ってきた。今日は祝日とだけあって、あっという間に車内はスキーなどの行楽客でいっぱい になった。車内でも不審物に注意するようにとの放送があり、乗客は皆一様に厳しい表情になる。出 発するときは北海道でこんな事になろうとは思いもよらなかった。

初日はこの列車を終点の網走まで乗り通したが、今日は途中の旭川で下車して 稚内行きの急行<礼文>に乗り継ぐ。到着の一〇分前にドアの前に立つと、他の乗客もおもむろに腰 を上げ始めた。どうやら結構な人数が<礼文>に乗り継ぐらしい。旭川に到着しドアが開くなり、ダ ッシュで階段を駆け降りる。(運がいい事にピッタリ階段の前だ!)振り向くと五、六人が後を追っ てくる。三番線ホームに上ると一両に10人程の乗客を乗せて<礼文>のキハ54の二両編成がアイド リングをしながら待っていた。禁煙車であることを確かめて、前寄りのキハ54に乗ると、運良く進行 方向左手の座席と窓割りが合っている席が空いていた。<礼文>は改造車のため、席と窓割りが合わ ず、柱と「睨めっこ」で車窓が見えない席がある上、宗谷本線の車窓は断然左が良いとなると、条件 に合う席は一編成に八席くらいしかなくなってしまう。それに煙草の煙は一切お断りの僕は更にチャ ンスが半分になってしまう。この日はたまたま良い席が空いていたが、確実性を求めるならば月曜日 のみ運転の特急<モーニングエクスプレス>で一足早く旭川入りして、三〇分前には並びたいところ だ。


何はともあれ乗り継ぎ一〇分の席取り合戦が終わって、定員の八割程の乗客を 乗せて急行<礼文>は旭川を後にした。前に何度も述べたが、「現在の急行として遜色の無い設備」 をうたい文句にしたこの車両、どうも中途半端で満足のいかない物がある。窓割りの不一致の他、通 路の幅を確保するためなのか、窓寄りと中央にもあった肘掛けが撤去されており、肘の置き場に困る 。(ボックスシートの時代から窓寄りにも肘掛けがあるのが「急行型」の売り物だったはずなのに… …。)また中央の肘掛けがあった所には大きな「穴」があいており、前の人の「尻」が見えて、これ はどうもいただけない。

ああだ、こうだと文句ばかりを言っていては、柱と睨めっこしている人に悪い ので一つだけ良い所を述べると、もともとワンマン仕様なので昼も夜も前面展望は思いのままである 。雄大な手塩川の流れや抜海の丘越えの大パノラマも、じっくり堪能できる訳だ。ただし、便所は稚 内寄にあるので、座りながら前面展望出来る「展望席」は旭川寄りになり、しかも喫煙車ということ になるのでご注意を… …。

エンジンを変装したキハ54はあえぐ事も無く、あっさりと塩狩峠をクリアして 、手塩川に出会うと間もなく名寄に到着した。ここで何と六割程の人が降りてしまった。考えてみれ ば<礼文>は宗谷本線の始発の優等列車であり、名寄着が九時五八分と時間が良いため利用が多かっ たのだろう。

名寄を出ると二〇人程になった。客層を見ると同業者以外の利用者は自動車の 免許を持ってなさそうな人がほとんどだ。自立した交通機関になるには、自動車に乗る人にも選ばれ る乗り物になる必要があり、宗谷本線は急行が四往復走ってはいるものの地味なイメージは拭えず、 もう一押しのインパク トが欲しい所である。

名寄を出ると、まだ氷に覆われた手塩川が車窓の友となる。手塩川とはこの先 、幌延付近まで約二時間延々とお付き合いするのだが、その間一度も渡る事が無いのが面白い。<礼 文>はその手塩川に沿って最果ての町を目指す。

駅に着く度、数人降りては数人乗ってくるといった事を繰り返しながら、美深 、音威子府、手塩中川、幌延と停まってゆく。幌延で手塩川と別れて豊富に到着すると、この先はいよ いよ宗谷本線のハイライト、利尻富士を望む抜海の丘越えが待ち受ける。ところがこの日は、時折雪 が散らつく、あいにくの曇天で利尻島や礼文島は望めそうにない。見えないと分かってはいてもあき らめきれず、カメラを持って最後部のデッキに行くと

「利尻、礼文島を撮るの?今日はちょっと無理だねぇ。」

と車掌氏。

「でも、いい場所を教えてあげるからちょっと待ってよ。」

と親切に車掌デッキに入れて、窓を開けてくれた。待つこと5分、平原から序 々に丘陵地帯にさしかかる。

「あと2分ね、だいたい一二時三二分くらいに通過するから。」

(さすが……通い慣れている。)

まもなく緩やかにカーブを描きながら丘のサミットに達しようとした時、

「ここだ!」

海が視野に入った瞬間、アングルをかえて三枚頂く。

肉眼ではうっすらと利尻島が見えたがカメラに写ったかどうか。車掌氏には丁 寧にお礼を言って自分の席に戻る。「僕達が通るときでも見えない日の方が多いねぇ。」とは車掌の 弁。晴れていればフィナーレを飾るにふさわしい光景が展開されるはずである。丘を下って市街地に入ると、間もなく「最果ての町」稚内に到着した。ホーム に降り立つと宗谷海峡を渡る風が冷たい。


「日本の線路はここより北には続かない。」

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