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現地三日目三月二〇日(火) 深名線〜美瑛


2年越しの美瑛の丘


一〇時三六分名寄に到着、今日はこの後、名寄で札幌行急行<宗谷>に乗継 いで、塩狩峠を越えて 旭川へ向かい、美瑛の丘を散歩してから札幌に戻る予定だ。今日中に稚内へ向 かう江原氏とはここで 別れて一人で<宗谷>に乗る。江原氏は素直に稚内へ向かうのに、僕は美瑛へ 行き、無意味にも夜の 間に函館まで往復してから明日の昼に江原氏と再び合流と、なんとも一般人に は理解されそうもない計画をこなしている。

所定では<宗谷>は名寄で後部に自由席車を一両増結することになっている が、この日は、始発から付けてきたのか、後部に国鉄急行色のキハ56が連結された姿で到着した。キ ハ400がほぼ満席なの に対し、キハ56はなんと乗車率〇%!。誰一人として乗っていない。最後部の ボックス席にジュラルミン製のアタッシュケースと書類が置いてあるが、どうやら車掌の持ち物らし い。同じ急行料金を払うなら、ボックスシートのキハ56よりもリクライニングシートのキハ400に 乗りたいと思うのが、乗客の心理なのだろうか。どうせ旭川まで、わずかの乗車なのだし、周りを気 にせずゆっくりできるので、オンボロのキハ56に乗車することにする。キハ56の自由席は僕以外の名 寄からの乗客二人を乗 せて発車した。後で聞いた話、この時、江原氏が僕を追いかけてきたらしいが その理由は後で述べる ことにする。



急行宗谷は後部にキハ56が連結されていた。(左)(名寄)
混雑しているキハ400よりもキハ56のほうがゆったりしていた(右)


旭川に到着後、一旦、改札を出て立ち食いそばで腹ごしらえをする。旅行後に 予算を余らせるために食費を切り詰めているが、そばとパンの生活が三日続くと、そばを食べたくら いでは満腹感が無くなってくる。今夜こそ何かうまいものを食べるぞと心に誓い、七味唐辛子をドボド ボかけて味を濃くして飢えをしのぐ事にする。

再び改札内に入り、長い地下通路を抜けると「本線系」のホームから離れてポ ツンと建つ「富良野線用」ホームに出ると、新鋭のキハ150がこれまた単行でポツンと停まってい た。学年末で学校が早く終わったのか車内は高校生で満員だった。

旭川を出ると市街地の西側を軽快に走る。キハ150は先日のキハ54と違っ て自動でギアが変わるためか、変速時のショックも少なく至って滑らかに加速する。唯一、不満なの はブレーキが自動ブレーキのままの事で、ディーゼルカー独特の乱暴な停まり方なのは否めない。その 点JR東日本のキハ100系はよく割り切ったもので、ブレーキも電気指令式の直通ブレーキに変え てあり、電車のようにスムーズに停車する。また、富良野線は美瑛で分割・併合を行うので、キハ100 系のように自動連解装置を付ければ、作業が楽になるのだろうにと思うのだが。まあ、その辺は加 速性能さえ良ければ低速で利用する一般型はブレーキ方式を変えてもあまり意味が無く、それよりも 旧型車との併結運転で新製コストを抑えようというのがJR北海道の考えなのだろう。

僕は北美瑛で下車する。実は僕はこの美瑛の地には苦い思い出がある。ここ美 瑛町に魅せられた??? 氏撮影のビデオ「四季の丘」(SONY??)を見ながら北海道に行けたら絶 対に美瑛の丘を歩きた いと思っていた僕は念願かなって昨年(1994年)正月、美瑛入りしたのだが道 に迷ったあげく、吹雪に巻き込まれ結局丘を見る事無く帰るハメになるという災難にあっていた。今 回は事前に道を調べて 準備万端だったつもりだが、またしても災難は降り掛かった。駅に降りてガイ ドブックを開くと、挟 んでおいたはずの地図のコピーが無い、ガイドブックにも地図は載っているが 美瑛駅からの道しか載っ ていない。一瞬、どうしようかと思ったが適当に歩けば丘を抜けて駅に着ける だろうと、いつもの気楽な気分で(それがいつもの災難の元なのだが)道道を富良野方面に歩きだし た。しかし、道道を選んだので道に迷う心配は無かったのだが、坂をひとつ登って下りるとすぐに市街地に出てしまった。

途中で丘に囲まれて静かに佇む美瑛の町を見下せたのだがせっかく来たのだか ら、有名な風景に出会いたいので、美瑛駅で体勢を整えてから再出発することにした。駅に荷物を預 けた後三脚とカメラを持って、再出発する。坂を登ること一五分、

「着いた!」

なだらかなジャガイモ畑に二本並んで立つ「ケンとメリーのポプラの木」だ。 二年越しの夢がかなっ た感動を踏みしめながら、三脚にカメラをセットしセルフタイマーで記念撮影 する。

重大事件発生



念願がかなった後、美瑛から旭川へ返して、予定より一本遅い四時の<スーパ ーホワイトアロー>に 乗って札幌に向かう。予定では札幌でラーメンを食べてから大通りを歩くはず だったが、美瑛で一時間程余計な時間を費やしてしまったので、風呂に入るだけで手いっぱいになり そうだ。食事は代用できても、今日のように汗をかいた日は風呂に入らないと、さすがに気持ち悪い 。 函館本線の札幌−旭川間は北海道の新幹線的存在で、暗い話の多い北海道の鉄 道で唯一、目立った成績をあげている幹線である。特急は速達タイプの<スーパーホワイトアロー> と停車駅の多い<ライラック>が三〇分おきに走っており、札幌、旭川ともに毎時〇〇(<スーパー ホワイトアロー>)分と三〇分(<ライラック>)発車と分かりやすい。地方の鉄道は短距離の移動 といえども、時刻表で列車を確認するのが鉄則だが、この区間は北海道にあって唯一時刻表なしで利 用出来る区間と言えよう。ただし普通列車については岩見沢を境にパターンダイヤが崩れるので、時 刻表が必要になるのでご注意を。

<スーパーホワイトアロー>の785系電車はT車に乗るといたって静か。E氏がいると<スーパー北斗>の自慢話を始めそうだが、785系の静寂性は第一級で、こもったジョイ ント音がかすかに響くだけで、会話もはばかれる程だ。ただ気になるのは駅の通過の際の若干の減速 と、ポイント上を通過する際の激しい音が気になる。何よりショックだったのはどこの駅だったか、 かなり減速したので赤信号かと思うと、普通列車を本線に待たせ、中線から徐行で追い抜いているで はないか。前者は幹線とだけあってポイントの数が多いだけにすぐに弾性ポイントに交換とはいかな いだろうが、後者は中線にホームがなく客扱い上仕方ないのだろうが、かなりショックだった。

一時間二〇分で札幌に到着。札幌に着くと何やら騒がしい。駅のコンコースで はTV局が数局、中継を行なっている。何か起きたのだろうか。三日間、人里離れた所を点々として きたので、カメラのライトを見ると

「ああ文明の灯りの見える所にきたなぁ。」

としみじみと思った。ところが銭湯に行くと、この日、重大な事態が発生している事を初めて知った 。ひと風呂浴びて着替えていると、番台の上のテレビが東京の地下鉄であの猛毒の神経ガス「サリン 」がばら撒かれ、多数の死傷者がで出ている旨を繰り返し伝えていた。急いで着替えてダッシュで駅 に向かい家族や友人に電話する。幸い被害にあった者は誰もいなかったが、世界一治安の良い地下鉄 だと誇りに思っていた東京の地下鉄での事件だけに残念でならなかった。

一八時五〇分、何ともやりきれない気持ちで夕刊を買い、<北斗22号>の乗車 位置に並ぶ。二〇分も前だと言うのに、かなり列が伸びており、ドアが開いて中に入ると、窓側席は 全て埋まってしまったので、いかにも「サラリーマン」といった姿のオッサンを探して隣に座る。こ のような夕方の列車の場合「サラリーマン」風の人の横に座るのが、ミソで、たいていの人はすぐに 降りてくれる。ただし昼の列車では出張などで長距離を乗り通す可能性が高く、このような場合地元 客の横を狙いたい。しかし、見分け方と言われてもこれといったものは無く、時と場合に応じて野性 のカンで勝負するしかない。まあ、各自研究されたい。

<北斗22号>の車内はというと皆一様に夕刊を手にしており、「地下鉄」「毒 ガスサリン」「死傷者三〇〇〇人」の見出しが、おどろおどろしい。隣のサラリーマンは早くも南千歳で降りてしまい、窓際の席に移って寝ることにする。 気が付くと森を出たところで、駒ケ岳の裾野を函館へ向かって登っているのだろう。車内 はいつのまにか閑散としていて二〇人くらいしか乗っていない。おそらく苫小牧と東室蘭で降りてし まったのだろう。函館まであと三〇分、もうひと寝入りすることにする。

二二時四四分函館着、二二時三〇分発の札幌行きの快速<ミッドナイト>に乗 り継ぐ。夜の間に札幌と函館を意味もなく往復するなど、一般人からは奇妙な行動に映るかもしれな いが、<北斗22号>で約三時間仮眠をとって、快速<ミッドナイト>で六時間熟睡すれば、疲労回復 、翌日は元気に僻地に向けて「出発進行!発車〜!。」となる。何分、金の無い貧乏旅行者なのでい かに安く疲労を回復させるかがポイントになる。

快速<ミッドナイト>はすでに入線しており、向こうのホームにアイボリーに 深いグリーンの帯を巻いた車両が見える。<北斗22号>のドアが開くと同時にダッシュで階段を登り <ミッドナイト>2号車に飛び込む。

「ラッキー!。」

改札は始まっていないらしく誰も乗ってない。

「えっ<ミッドナイト>は全車 指定制なんじゃないの。」

と思っている方へ。3号車の座席車、通称「ドリームカー」は普通の指定席な のだが、1、2号車の「ゴロ寝車」こと「カーペットカー」は発券の段階では、座席は指定されてお らず、ただ号車番号だけが書いてある。定員制なので、寝るスペースが無い訳ではないのだが、壁際 の「特等席」は一両に六箇所しかなく、他の列車から乗り継ぐ時は、函館駅の改札が始まる前に着い ていないと確保は厳しい。しかし<北斗22号>からなら十分間に合ったので、皆さんは焦って走って 段差で転ばぬよう注意されたい。

今日は美瑛で歩いたせいか、さすがに疲れが出たので発車を待たずに寝てしま った。発車直後に車内改札があったのを覚えているが、目が覚めると南千歳付近を通過中だった。

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1995年3月20日の悪夢のような事件は遥か遠い北の大地で知った。(左)
筆者はミッドナイトのカーペット車を愛用(右)