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現地四日目三月一六日(木)宗谷岬


凍てつく宗谷岬



鉄道はここ稚内で果てているが、さらに陸地の果てを目指してバスに乗る。 バスターミナルで一足早く稚内入りしていたE氏と合流し、バスは宗谷海峡に沿って走る。道は先 に見える岬の丘陵地帯まで一直線に延びており、ひたすら飛ばしたいところだが、例によってバスは 六〇キロ弱で坦々と走る。

「我が道を行く」バスの横を乗用車が猛スピードで抜いて行く。また抜かれた かと思って海を見てから再び前を見ると、なんとさっきの車はすでに豆粒ぐらいの大きさになってい る。

「一二〇`は出てるな……」

さすがに北海道、スケールが違う。その後もバスはマイペースで走り、一時間 弱で宗谷岬に到着した。北方領土を除けばここが日本の陸地の北の果てである。「日本本土最北端の地 」の標注の前で記念撮影し、海を眺める。あいにくの曇天でサハリンは見えない。

しかし淋しい所だ。バスから降りた客数人の他は車が二台ほど停まっているだ けで、いつ来るとも知れない客を待つ店が、数軒あるのみ。それに寒い!。手持ちの温度計は五度を 指しているが、標注のLEDの風速表示と持参の体感温度換算表を照らし合わせると「マイナス2℃ !」寒いわけだ。

昼をまだ食べていなかったので国道添いの食堂でラーメンを食べる。E氏は 宗谷岬には二〇分の滞在予定で時間が無いため、ラーメンを半分残したまま、さっさとバス停に向か って去ってしまった。僕としてはせっかくだからゆっくり宗谷岬に滞在したいから残ったつもりだっ たのだが、いざ独り置いて行かれ、誰もいない最果ての小さな食堂でラーメンをすすっているとさす がに家が恋しくなり、

「本当に帰れるのかな!」

と真面目に考えてしまう。今、江原氏が乗って行っ た一四時二〇分のバスの次は一七時二八分で実に三時間もバスが無い。食堂のオバちゃんに何か時間 をつぶす所はないかと聞いてもあまりかんばしい答えはなく、とりあえず荷物を置かせてもらってか ら散歩に出ることにした。

店の裏手の階段を登り、旧日本軍のトーチカ跡を過ぎ、まだ厚い雪に覆われた 道に足ををとられながらしばらく登ると、丘の上に冬期閉店の洒落た西洋風の店があり、店の裏手に はAMラヂオアンテナなのか、菖蒲町の送信所のような支線を張った高いアンテナが数本見える。辺 りは所々雪が融け、茶色い地肌が見える丘が広がっている。案内板によるとこの辺は宗谷丘陵と呼ば れており、広さは日本一、主に放牧地として使われているそうだ。海の方を見れば、なだらかに突き 出た岬の周辺にだけ店が数店あり、その裏手に白と赤に塗られた背の低い灯台があるのみ。

一通り歩いて岬に戻って時計を見るとまだ四〇分しか経過していない。さら に土産物を買って時間をつぶしてやっと一時間。更にバスの待合室で時間をつぶすことにした。汚い 待合室で、壁には全国各地からやってきた強者のメッセージが書きたくってある。一つ一つ読んでみ ると、一五年使っているポンコツ車で東京から走破してきたとか、自転車で走破したとか、あげくの 果てにはヒッチハイクのみで来た者もいるらしい。この待合室で夜を明かしたのかガスコンロのボン ベの空缶も置いてあった。誰が置いたのか机の上の二冊のノートにもさまざまな人の色々な秘話がぎ っしり書かれていた。

僕も言いたいことを適当に書きたくっておいたが、ただここで間違っても自分 の住所、電話番号を書いてはならない。僕は海芝浦駅のノートに名前と住所を書いたばかりに、全国 の同業者から物品の売買や鉄道の情報の問い合わせの手紙や、切符を扱う金券屋からのDMが連日山 のように配達される悲劇にあった友人を知っている。(某T・Y氏)

時計を見ると、まだ一六時一〇分、まだ先は長い。その時ふと思った、ヒッ チハイクで帰れるのではないか。落書のことを思い出し、荷物を預けた食堂に向かう。オバちゃんに マジックと段ボールを借り、段ボールに大きく太く「稚内」と書き、オバちゃんに丁寧にお礼を言っ て店を後にする。途中、稚内方から僕と同様、大型のザックを背負ったヒゲ顔の中年男性が歩いてきた 。

「……ゲッあの人深 名線に乗ってた人だ!……。」

失礼かもしれないが、見るからに風呂に入って なさそうな姿だ。あまり関わりたく無いので無言のまますれ違う。

さて岬から少し離れた道路の傍らに荷物を下ろし、車の通過を待つ。すると 間もなく岬のカーブを赤いハイラックス・サーフが曲ってきた。すかさず段ボールの看板を高くかざ す。しかしこの車は猛スピードで通過してしまった。「駄目か」と思い振り向くと後退灯を点けて戻 ってくるではないか!。

乗っていたのは若い夫婦と五歳位の娘さんの三人で、快く乗せてくれた。

「淋しいところですねぇ」

と言うと

「えっ?夏は観光客でごった返してますよ。」

「この時期に来るなんて変わった方ですねぇ。」

とまで言われてしまった。僕としては、最果ての地は淋しい方がムードがあっ て良かったかなとも思ったがやはりめずらしいのだろうか。宗谷丘陵が切れると例のどこまでも一直線の道に出た。ここで追い越し禁止が 解除され前を走っていた軽トラックを追い越すと猛然と加速を始めた。メーターは一〇〇キロをあっ さり超え、一三〇も超えた、「特急より早い!」更に一五〇でメーターは停止した。さすがに腰高な クロカン4WDではロールが激しく、ワイドタイヤの轟音が車内に響く。当然、本州の一般道でこんな スピード出したらすぐ に事故になる!。おかげで四〇分足らずで稚内に着いてしまった。これまた丁 寧にお礼を言って家族連れと別れる。予定より早く安く着いたので野寒布岬の落日を見に行くことに する。

オフシーズンの宗谷岬は半端じゃなく寂しい所だった

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