寂しい最果ての町
例のバスターミナルからバスに乗って約15分、野寒布岬は淋しいところだ
った。巨大な灯台があ る他は、人っ子ひとりいなく、日暮が迫り水族館は既に営業を終えていた。当
然、サハリンは見えず、 先程の宗谷岬が霞んでおり、「ポンポンポン……」という船のエンジン音が淋
しさと不安感ををより 一層強調している。誰もいないのかと思っていたら車が…。ふと車内を見ると
アベックが何やらやっ ている。ますます空しくなった上、みぞれまで降ってきてしまって最悪。さっ
さと引き上げることに した。
あいにくの雨でノシャップ岬の夕日は見られなかった
岬のバスターミナルから駅へ戻る途中、バス通りに銭湯があることを思い出し
、途中でバスを降りた。その名も「吉野湯」は今は貴重となった木造の昔ながらのもの。この様子
だと薪で焚いているのではないだろうかとも思う。中に入ってみてまたびっくり、中の調度品も全部
木製で脱衣篭も竹製。電球の照明に古き良き時代の匂いを感じる。しばし湯槽で旅の疲れをいやすこ
とにする。しかし女湯から響いてくる若いお姉ちゃんの声が気になる。昔のマンガのネタに女湯を覗
くものがあったが、女湯とは一・八メートル程の高さのタイルで仕切られているだけ。身長一・七七
メートルの身では背伸びだけで覗けそうであった。(実行はしなかったので念のため。)
銭湯のオバちゃんとしばし世間話をした後、駅前に戻り、江原氏に教えても
らったそば屋で夕食にした。独り黙々とそばをすすっていると見知らぬ青年が声をかけてきた。良く
見ると、昼間、例の宗谷岬の食堂にいた人だ。東京から来た大学生で、ふと宗谷岬に行きたくなって
昨日、飛行機で北海道入りしたとのこと。やはり宗谷岬では暇をもてあまし、あの食堂で大相撲中継
を見て、時間をつぶしたとのこと。あの食堂でキィキィと音を立てて段ボールに文字を書き込む僕の
姿に苦笑していたと言う。しばらく最果ての町の食堂で世間話に花が咲いた。これだから旅はやめら
れない。
駅へ戻ると、幌延行きの4336Dが乗客もなく発車していったところだっ
た。稚内は雪になった。<利尻>まで二時間半、明日は滝川−新十津川探険もあることだし、待合室の
隅に新聞を敷き、寝袋にくるまって仮眠することにした。寝袋にくるまっているとはいえ、タイル張
りの床からしんしんと冷気が伝わってきて寒い。例の学生もベンチで横になっている。
二一時半どうやら改札が始まる気配なので、寝床を格納し、改札前に立つ。
例の学生は<利尻>で札幌へ着いた後は、市内を観光した後、夕方の飛行機で東京へ帰るとのこと。
飛行機で渡道して、飛行機で帰るなんて、E氏に話したらぶつぶつ文句を言われそうだが、鈍行のみ
で渡道するほうが特殊なのであって、むしろ彼のプランの方が一般的なのかもしれない。(しかし彼
に<北海道ワイド>を 見せて、説明をするとしきりに感心して、「次回は<北海道ワイド>を使いた
いと言っていたが。)
僕は、地図を見せて滝川から新十津川まで歩く旨を話すと彼はしばし仰天して
いた。
改札が始まり、ホームに入ると、所定の4両の最後部にキハ56の自由席を
増結した五両編成が待っ ていた。指定席を押さえている例の学生と別れると、先頭の自由席車のキハ4
00に乗り込む。無用 とも思える両運転台や、車内に入ってみると客室内に大きく張り出した便所の
張り出し部(当然入り口はデッキだが)など一般型キハ40時代の雰囲気が色濃く残っており、一種
の違和感を覚える。座席は昼間の<礼文>と違い、一八三系気動車の五〇〇番台車のものと同じもの
に交換されており、居住性はまずまずである。ただ、タネ車が北海道仕様で、もともと窓が小さかっ
たので、柱と睨めっこの席が<礼文>のキハ54より多いのは残念である。
車掌氏によると途中から結構乗車があるとのことなので例の4席占領のベッ
ドメイクは断念し、二席使用で体を折り曲げて寝ることにする。これなら最後尾のキハ56のボック
ス席のほうが楽かとも思ったが、移動が面倒なので、このまま寝ることにした。今日は疲れたのか車
掌氏の言ったとおり途中駅でそこそこので乗車があった事以外は記憶になく翌日の深川到着となった
。
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