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呼子線の路盤の現状(2日目〜その2〜)

海水浴場を過ぎると、築堤に移り、しばらく行くと肥前相賀。そこから第1、第2湊トンネルを抜けて田園に出たところが肥前湊である。ここの田園を抜けて第3湊トンネルに入るまで、高架橋で抜けるのだが、道路と交差する部分が無残にも壊されている。どうやらここが「旅」誌付録の「未成線大全科」の表紙を飾ったところのようである。もともとこんな感じで作りかけだったのかなとも思ったが、壊された断面は白く、新しく、またガレキが転がっている事から最近取り壊されたものと思われる。後で「幻の鉄路を追う」を見たところ平成8年8月撮影の写真にはちゃんと連続した高架橋として写っている。今年の春に発売された「未成線大全科」では壊された写真になっていたので、去年の年末から今年の冬にかけて壊されたのかもしれない。

 


高架の下はちゃっかり農道として
使われていた。

無残にも壊された高架橋。断面は新しい。

 

「未成線大全科」の表紙と同じ写真を撮りたいと思い、高架橋の下にトレン太君を止め、第3湊トンネルの入り口付近まで上ってみる。トンネルの方へ向かって車1台がやっと通れるような道(といっても多分これは軽トラックの轍だろう)が草を踏み分けて続いているのだが、それが高架橋の下に潜り込んで続いている。今は清算事業団の用地だから勝手に使用できないのだが、農道として使っているのだろうか。高架橋の下には、雨をしのいでいる農機具もみかけた。ちゃっかり軒先を拝借しているわけだが、どうせ使われない高架橋なのだからこのくらいなら清算事業団も文句は言えないだろう。


道路との交差部分だけが壊された肥前湊駅
付近の高架橋。先に見える路盤が広くなっ
ている部分が肥前湊駅の予定地。
さて第3湊トンネルの入り口付近に登って唐津方を見ると、なるほどここが「未成線大全科」の表紙を飾ったところだ。まっすぐに延びる高架橋は2個所の道路と交差部が取り壊され、その先に肥前湊駅の予定地と思われる幅の広い築堤が見える。「もったいない」

築堤を降りて車の所に戻ると、水路の向こう側に役人風の男性が立っており、車に入ろうとすると「ちょと」と呼び止められた。「まずい叱られるか!」と思ったが、水路と高架橋の写真を撮りたいので車を退けてほしいとの事。車を移動した後、今度はこちらから話し掛けてみた。この男性はどうやら本当にどこかの役所の人らしく、何でもトンネルの湧水が高架橋の下の水路を流れており、それを水田で利用している。高架を壊して農道にするのだが、高架を壊すとその水路も改修しなければならないので、住民に説明するための資料を作っているとの事だ。なるほどさっき見た道は農道ではなく勝手に使っているだけだったのだ。多分高架を壊して舗装された農道を作るのだろう。普通の道路は単線規格の用地では狭いが、農道なら、すでに高架下を農道として使っている人もいたのだから単線規格の用地でもその用途に絶えうるだろう。さらに他の区間でも壊すところがあるのかと聞くと、将来的には壊せるところは全て壊し、切り通しの法面も埋めてしまうそうだ。

 

なるほどいい事を聞いた。その男性にお礼を言うと車に戻り、先に進む事にした。ところが車に乗ってから「どこの役所」の人か、また高架橋の一部を壊したのがいつかを聞き忘れてしまった事に気づいた。男性の方へ戻ろうと思ったが男性もすでに車に乗りこんでしまい、車を止めてもらってまで聞く気にはなれなかったので、しばらくそこに待機して、車の後を追わせてもらう事にした。

車は運良く呼子の方へ向かうようだった。肥前湊から先は呼子線はトンネルで抜けており、姿がつかめない。一方、道路の方は七ツ釜付近から曲がりくねりながら、小さな峠を呼子線の上で越える。この辺でトンネルから出た路盤が見えるはずである。七ツ釜への道の分岐を過ぎたところで例の男性の車は路肩に寄って止まってしまったのだが、路盤の姿は見当たらない。別の仕事でとまったのだろうと思いその場は追い抜いてしまった。しかし車を追い抜いても路盤はなかなか見えてこない。手元の資料では肥前湊から約3キロで屋形石の駅に着くはずなのだが、車のメーターで計って4キロを越えても見当たらない。これは行き過ぎたと思いUターンして、地形から「これぞ路盤が出てくるか」と思った小道に入ってみたのだが、結局もとの国道204号に戻ってしまい。この時は路盤を見つける事ができなかった。

 

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