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呼子線の路盤の現状(2日目〜その3〜)


柱状節理の玄武岩がそそりたつ崖に七つの竈が
口を開ける七ツ釜。屋形石駅予定地付近にある。
せっかく唐津まで来たのだからこの辺で路盤探しはお休みにして、七ツ釜を見てみる事にした。七ツ釜は例の男性の車を見失った付近から小道に入りしばらく行ったところだった。最寄り駅予定地はは屋形石だろうが、駅からだと結構歩くかもしれない。七ツ釜は、唐津市北部にある海蝕窟で、柱状節理の玄武岩がそそり立つ岩場に7つの竈のような洞窟が並んでいる。海に半分沈んでいるような竈の周辺の水は透き通った青であり、非常に美しい。空も雲ひとつなく晴れ渡っており、全く運のいい日に来たものだと思った。今年は台風の当たり年のようで、九州入りの直前にも超大型の台風が九州を襲っていたのだが、運がいいことに僕が九州に上陸してからは、晴れた日ばかりで、厳しい残暑が続いている。玄界灘の青い海、青い空、そして七ツ釜周辺の奇岩と「なんと絶景な事か」。こんな観光資源の豊富な地域を走っていながら、ついに開業でずに姿を消してゆく運命となった呼子線の事を考えると「なぜ80年代に筑肥線改良と連動して開業させる事ができなかったのか!」と、悔やまれる。

 

さて時間もない事だし再び車に戻り、国道204号を呼子方面へ向かう。この時も、路盤がないかどうか見てみたのだが、結局見つからないまま、呼子の市街地の入り口まで着いてしまった。ここから国道は港のある市街地までちょっとした山を切りとおしで抜けるのだが、呼子線は一旦、大きく北に首を振った後、その国道の切り通しのある、小さな山の上の呼子駅を過ぎて国道をまたいで伊万里方面へ向かうはずである。手前の路盤と呼子駅を見るべく、切りとおしの方へは進まずに海岸沿の外周道路へ右折した。しかし、この付近もまたトンネルで抜けているらしく、路盤が見つからない。考えてみれば、肥前湊を出てから全く路盤に会っていない。高規格すぎるのも困り者だと思いながら走っていると。川もないのに橋がかかっている。渡りざまに河床に目を向けてみると、これは川ではない。切りとおしで呼子駅へ抜けている呼子線だ。「ここだ」とは思ったもののUターンできるところを探しているうちに道が工事で狭くなってしまい、更にUターンできないでいると、雑多な朝市通りに出てしまい、いよいよUターンはできなくなってしまった。しかし、こう見ると、賑やかな街だ、通りも活気があるし壱岐へ向かうフェリーのターミナルや、真っ白に輝く呼子大橋の斜張橋も見える。本当になぜここまで開業できなかったのかが悔やまれる。


呼子は朝市で賑わう町、写真奥には壱岐へのフェリ
ーのターミナルや呼子大橋の真っ白な張斜橋がある。

呼子駅の伊万里方の橋脚。これより先は全く手付かず
となっている。

朝市の通りを抜け、再び国道204号に戻り、唐津側に引き返し市街地からの坂を登っていくと切りとおしの両側に呼子線の橋脚が現れた。これは呼子駅を出て伊万里方面へ向かうものだが、呼子駅の先の工事はこの橋脚を造っただけで終わってしまったはずであり、この先には建設された路盤はない。ということは呼子駅はこの左手の小高い山の上にあるはずである。しかし、駅を探して小道に入ってはみたものの結局見つけられなかった。ここで、佐賀へ引き返すタイムリミットになってしまった。今回は計画の建て方を誤ったか、時間がなくてあまり路盤を見つける事ができなかった。呼子駅が見つからなかったのは残念だが、このまま長居すると「さくら」に乗り遅れてしまう。また車で九州入りしているはずのS氏らにも会えたら呼子で落ち合う事にしていたので、名残惜しいが見つからなかった路盤を探しながら引き返す事にした。

 

 

 


屋形石駅の予定地付近。
路盤が広くなっているのが分かる。
呼子から204号引き返す。往復すれば何か見つかるかもしれないと走っていると、道路の左側を、来るときは気づかなかった路盤らしき築堤が並走しているのが見える。「これは!」と思い左折すると、来るときは屋形石の駅を探して入った道だった。ちょうどトンネルと、トンネルの間から路盤が出ており、また一部の路盤は低く、公団が作ったものと思われる取り付け道路の準備工事の法面が見える。資料と地図で確認してみるとここが屋形石の駅予定地らしい。2度通ると発見があるものだ。

屋形石の駅を後にして、204号を走るとまたしても来るときは見えなかった高架橋が左手に見える。しかもここはあの役所の男性の車が止まった付近だった。やはりあの男性は路盤の調査をしていたらしい。ちょうどここは、第3湊トンネルが呼子側に口を開くところで、先に見える屋形石トンネルを抜けて先ほどの屋形石の駅に出るのだろう。

七ツ釜への道路が分岐する付近を過ぎ肥前湊を過ぎて、小さな山を越えて再び相賀に出る、だいぶこの付近の地形と地名を覚えてしまったものだ。肥前相賀付近を過ぎるとあの海岸線を路盤が走る区間だ、S氏とはこの先の海岸沿いの呼子線の高架橋が見えるセブンイレブンで待ち合わせにしていた。まもなくS氏の乗ったレンタカーのスターレット(これが所沢で借りたもの)がやってきた。S氏らとともに再び浜に降り立ってみた。本当に今にも列車が走ってきそうな高架橋だ。S氏らも走ってくる列車を思い浮かべながらシャッターを切っているのだろうか。智頭急行や北越急行が開業し、今このように構造物が残っている未成線は開業が絶望的なものばかりになってしまったが、そんななかでも開業の夢を語るのが未成線めぐりの醍醐味でもある。玄界灘にしずみ行く夕日を浴びて輝く高架橋をバックになんとも哀愁に満ちた光景であった。

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