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リメイク_リバイバル_アーカイブス
この記事は1197年2月に取材されたものです

 


幻の鉄道建設公団AB線

岩日北線

 


 

(3) 現地の状況2 

さて須川地区へ向けて先にすすんでみよう。周防深川駅付近で国道434号は路盤をアンダークロスする。出市駅付近もそうだったが道路上には立派な高架橋で越える路盤が見える。一見立派で、何事にもびくともしないように見えるが、20年間管理者がいないまま放置されてきたわけであり、阪神大震災の時の山陽新幹線の高架橋がそうだったように、絶対に崩れないとは言えない。そのような危険性を考慮してか九州の呼子線など一部の未開業路線では道路との交差部分を撤去している所もある。錦町もこの路盤の有効的な活用法が無い場合は清算事業団と協議してこれらの路盤を撤去する事も考えているとの事で、まず撤去されるとしたらこういった道路との交点がまっ先に取り壊されるのだろう。

 

道路との交点
このような箇所は管理者不在で長期放置すると
危険なので取壊対象となるようである

 

山間を連続トンネルで抜いてゆく

国道434号は先ほどの雙津峡温泉を抜けると、センターラインの無い狭い道になる。狭くなる分岐点ではトンネル工事と拡幅工事が行われており、道路の方の整備は着々と進んでいるようである。そちらはまだ未完成なのでそのうち旧道と呼ばれる事になるだろう細い道を宇佐川に沿って分け入って行く。路盤も川沿いを大小のトンネルを連ねて真っ直ぐに走っている。やはりこの辺も公団建設線独特の高規格さを見せている。須川地区に入ると道は拡幅工事が完成しており、2車線で進む。下須川、高根口と駅予定地を過ぎ、11Km地点付近で路盤は宇佐川を渡って反対側の山に正面から突っ込んで姿を消している。これがこの区間最長の六日市トンネルで(全長4.6Km)山一つ越えた六日市まで一気に抜けている。

 

六日市トンネルの錦町側坑口とアプローチの路盤

 

六日市トンネルの名盤

 

道路の方はこの位置から六日市へ抜けるのが非常にやっかいで、センターライン無し、すれ違いもままならないような県道で抜けられるのみである。一応舗装はされているもののかなりの旧曲線と勾配が続く。片勾配なのかグイグイ上って来た割には頂上で平地になってしまい、あとは六日市までゆるやかに下って行く。鉄道トンネルのほうも地図で確認する限り、六日市へ向けてゆるやかな片勾配のようである。

さて、六日市トンネルの出口付近で路盤と再会する。トンネルをでたところで、中国自動車道と交差しているのだが、中国自動車道の橋脚は路盤をまたぎ越せる準備工事が施されており、築堤がくぐりぬけている。中国自動車道をくぐったところから先の路盤は無残にも取り壊され、整地されている。このあたり六日市の市街地ともいえそうなところで、六日市町が競売にかけ、一部は共同住宅としてすでに完成していた。錦川鉄道の延伸が断念されたこともあってか、六日市側では、この路盤をとっておいても仕方ないと判断したのだろう。しかし、鉄道が通るとの事で土地を提供した元の地主は一体どんな気持ちでこの現状を見ているのだろう。

もとの路盤も六日市インターの近くで終わっており、中心街とは離れているが、きっとこの辺に六日市駅が出来る予定だったのだろう。

 

中国自動車道との交点
築堤が残っている

 

造成が終了し住宅が建ち始めた箇所

(まとめ)

路盤の現状は以上のとおりだが、今後の展開はどうなるのだろうか。先にも述べた通り、この路盤の処理は錦川鉄道が延長を断念した今、地元である錦町と六日市町に一任されている訳である。六日市町の方はすでに交通機関としての利用をあきらめ、用地を売却し、一部の路盤を取り壊している。今後も何らかの動きが見られそうなのは錦町側である。
錦町の企画情報課の話によると、町としての意見は何とか公共交通機関として残せないかと考えているとの事。しかし、町だけではなかなか名案が浮かばないため、1995年(平7)から1996年(平8)年にかけて地元TYSテレビ山口による地元への放送やTBSによる全国放送等で何とかこの設備を生かせないかとの意見を募集したところ、トロッコバスやサイクリングロード、果ては流れるプールなどの珍意見も出たようである。しかし、町の財政上の問題もあって、老朽化が進む、橋梁やトンネル等の改修費用の負担だけでも大変で、ただ単にバスを走らせる訳にもいかないらしい。事実トロッコバスなどとして利用するにも周辺の道路が整備されている以上、路盤を改修してまで走らせるのはどうかと思う。そういった意味で交通機関として路盤を利用するならば、赤字前提でまず採算性は度外視しなければならない。そんな体力が果たして錦町にあるだろうか。

ところで少々話はそれるが、川島令三氏の幻の「鉄路を追う」(中央書院)でもこの岩日北線計画が紹介されており、錦川鉄道から岩日北線、山口線を標準軌化してミニ新幹線気動車を走らせようという壮大な案があったが、私はこれは受け売りの領域を出ないと思う。確かに錦町−六日市間の路盤の大部分はそのまま残っているが、南半分は第3セクターに転換され、しかも会社の存続に関わるほど経営は厳しい。しかも六日市−日原間の約56Kmは全く手付かずであり、高規格の路盤が残っているのは岩日北線計画の全72Kmうちの4分の1にも満たない16Kmである。間南は山口県、六日市より北は島根県と自治体が違いお互いの歩調は合っていない。川島氏の提唱する新岩国から東萩および津和野までの直通計画は直通の相手側の津和野と萩には六日市−日原の未着工区間に手をつけるほどの都市であるとは言えない。むしろ九州方面からの直通の便を図って、山口線の高速化を考えた方が合理的なのである。川島氏は経営努力により黒字経営が可能とソロバンをはじいているが、私は黒字経営は不可能と考える。山口、島根両県が出資した高速鉄道計画もまず出てこないだろう。なにはともあれ、現実的に進んでいる路盤の活用計画は錦町レベルで、「取り壊すのはもったいないから何かに使おう」という考え方のみである。
自分は実際にはサイクリングロードや遊歩道のようなような利用方法しか考見出せないと考える。錦町の駅前に町営のレンタサイクルを設け、高架部分は柵を強化(実際、柵が朽ち果てて壊れている所があった。)トンネルには照明を設ける。1km以上のトンネルで照明設備を取り付けるのが大変なら、そういったところは平行している一般道を迂回すればいい。もちろん料金を取る訳にはいかないが、下手にバス等を走らせて大赤字を出すよりかえって経済的なはずである。幸い路盤は宇佐川に沿って走っているので夏の渓谷を自転車で風を切って走ると爽快だろうし、沿線に温泉もあるので、なかなか話題性もある。全国のこのような遺構を抱える自治体の中で、「どういう利用法でも残そう」という気運が実際にあるだけでも珍しく、評価できるので、町の厳しい財政事情もあるかもしれないが、せっかく作った路盤なのだから、ただ単に取り壊して売却すると安直に考えるのではなく、路盤の特性を生かした活用法を採用してもらいたい。

 

おわり

 

2015.07.18 追記

2002年に錦町−周防深川駅までの間は、雙津峡温泉への観光公園施設として、錦町により再整備が行われ、「とことこトレイン」の名でタイヤ付き遊覧車の運行が行われるようになった。実際の営業、運行は錦川鉄道へ委託されている。
土日祝日を中心に運行。鉄道事業法にもとづく、鉄道ではなく、公園の遊具施設として運行されている。


おわり[BACK]

(1)岩日北線の概要

(2)現地の状況1

(3)現地の状況2 まとめ 

 

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