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現地三日目 三月二〇日(月) 深名線 〜 美瑛 


 

 

深名線の最後の雄姿を見た


 午前三時、深川到着まで1時間程あるが目が覚めた。到着一時間前とは、いささか早い気もするかもしれないが、顔を洗っ て、歯を研いて、荷物 をまとめたりと、これらの一連の動作をまだ寝呆けた頭脳でこなすと(僕の場 合)一時間くらいかかっ てしまうので、いつも早く起きるように心がけている。 そうしているうちに旭川に到着、時間調整のため四〇分ほど停車する。旭川 では早朝の利用客が結 構乗ってきたので、次の深川で降りるので。座席を回転させて席を提供す る。江原氏は目を覚ま したらしいが、Y氏は相変わらず熟睡している。深川まで再び寝ないように 気をつけながら、乗車 する。

四時四七分深川着、一五人前後の客が降り、そのほとんどが深名線へと乗り 継ぐ。ただし、一般客 は皆無でほぼ全員が同業者の模様。名寄行深名線5721Dは橋を渡った4番線か ら発車する。キハ53が 検査中だったのか、この日は先頭の名寄行がキハ54で、後部に幌加内と朱鞠内 で切り離す回送の車両 (キハ53)が連結されている。二両目は車内灯がついているが、幌加内と朱鞠 内で折り返す乗務員専 用で乗車は出来ない様子。先頭のキハ54は急行礼文用のかつて新幹線で使用 していた転換式クロス シートを装備した車両で、「深名線はオンボロのキハ53で」と期待していた僕 は残念だった。ひととおり編成を見回した後、先頭に戻るとキハ54が同業者の皆様のフラッシュを 浴びていた。

早朝の深川駅で発車を待つ5742D
この日は名寄行きの先頭車だけキハ54だった



 五時一〇分5742Dは薄く青みがかり始めた深川駅を後にした。先頭のデッキ で景色を眺めていると、
「ここのレール短いよ」
と吉野氏が言ってきた。なるほど、長さが普通のレールの半分の短尺レールと 言うやつを使用してい るらしく、車輪がレールを刻む音がやたらと早い。速度はせいぜい六〇キロとい ったところだが、音だ けを聞いていると、特急に乗っている気分になる。

 5742Dは約一時間かかる幌加内まで途中、多渡志と鷹泊のみの停車と急行並 みに軽快に走る。といっ ても5742Dは車両の回送が本来の目的で普段の利用客はゼロに等しいらしいか ら無用の停車は省いて いるのだろう。深名線のダイヤは5742Dが幌加内と朱鞠内で切り離した車両が それぞれの区間運用を こなし、名寄発の5736D、深川発の5727Dとして朱鞠内に到着した二両が連結し て幌加内へ回送され、 深川発の5741Dとして幌加内へ到着した一両を連結して三両になり5744Dで深川 に帰るというもの。
運用は全部合わせても一日八本、一日三往復しか列車が走らない区間も存在す る超が付くローカル線 である。今年の冬にJRバスへの転換で地元が合意したらしく、数億円ともい われる、冬の除雪費用 を考えると、遅くとも今年の秋が最期だろう。そう思うと、おのずと車窓を見 る目も違って来る。

 内陸とだけあって、さすがに雪深い。昨日も降ったのか、列車の前方の線路 が雪に埋もれて見えな い。よく言う「排雪走行」というやつである。三月末、もう除雪車は走ってい ないのか、積雪が多く、 雪の抵抗で列車の速度は思うように上がらない。

「前が見えない」

吉野氏がぼやく。外との温度差で前面の窓が曇ってしまっている。これではY氏お得意の前面展望 ビデオもお手上げである。運転士はブスッとした人で、花咲線の ように電熱線を入れて くれそうにない。そこで裏ワザ、天井のベンチレーター(換気口)を開けてデ ッキの温度を下げる作 戦に出た(北海道の車両はドアのあるデッキ(出入台)と客室が仕切られてい る)。この作戦は功を 奏してガラスの曇りが取れ始めたが、しばらくするとベンチレーターに雪が詰 まったらしく、再び温 度が上がりガラスが曇り始めた。「クソ……ついてない。」 何とかしようとベンチレーターをいじっていると、「ガチャン」とデッキの扉 が開いた一瞬焦ったが、E氏だった。気分が悪そうでトイレに向かった。

「もしかして」

「酔った?」

Y氏と顔を見合わせる。思えば路盤が悪いのか、よ く揺れる。E氏はずっと地図と睨めっこして いたからそれで酔ったのかもしれない。

雪の影響で速度が上がらない事が響いて、四分遅れて幌加内に到着。激しく雪が降っていたが、同 業者の皆様はそんなの おかまいなしに走り回って写真を撮っていた。

幌加内で後ろの2両を切り離す。5742Dは営業列車というより
回送列車を開放している感じだった(幌加内)(左)
深名線は最後までタブレット閉塞だった(幌加内)(右)



 最後部のキハ53を切り離して二両で幌加内を出発する。幌加内を出ると両側 から山が迫ってきて登 りにかかる。列車の速度はせいぜい40`。エンジンの唸りに反し、なかなか速 度は上がらない。 吉野氏と窓のわずかに曇りが取れている隙間から前面を見ていると車掌が記 念のオレンジカードを 売りにきた。僕も1枚買ったが、またもやY氏が凄い行動に出た。

「10枚ください」

「……。」

図柄は一種類しかなく一〇枚とは唖然としたが、車掌にあと三枚しかないと言 われこの時は三枚だけ 買った。ちなみに吉野氏は今回の旅行で全部で二〇枚(二万円分)のオレンジ カードを買ったとのこ と。本人は、食費の節約には強いがオレンジカードや入場券には弱いとぼやい ていた。

結局4分の遅れが取り戻せないまま朱鞠内に到着した。ここで名寄まで直通 するY氏と別れて列 車を降りる。5721Dは更に後部の一両を切り離し、列車番号を5731Dに変えて、 吹雪の中を単行で出発していった。

朱鞠内駅は雪深い内陸にあった

 



 朱鞠内は予想していたよりは開けているところで、駅前の広い通りの周辺に 家が集まっていて、雑 貨店やガソリンスタンド等、一通りの店がある。存在するかどうかが危ぶまれ た朱鞠内郵便局は、一 〇〇b程離れたところに移転、新築されており、廃局になっていたものと信じ ていたE氏は大喜び で、局の前で記念写真まで撮っていた。まだ九時前だったので貯金は後程する ことにして、駅に戻る と、ちょうど深川行の5722Dが発車するところだったが、折り返しの同業者以 外は乗っていなかった ようだ。待合室はいよいよ閑散としてしまい、僕達二人と同業者の方一人だけ になってしまった。

駅員が除雪する音の他は何も聞こえず、至って静か。人が住んでいるのか疑 いたくなる。ホームの 向こうの積雪計は二b近くを指している。凄い雪だ。この雪が深名線を存続さ せてきてくれたのだが、 平行道路の整備が完了し、冬場でも車による移動が可能となった今、いよいよ 深名線の存在意義が失 われつつある。この日も駅前の通りでは、除雪車が唸りを上げていた。

九時一二分、Y氏の乗って行った列車が名寄で折り返して来た5732Dが到 着した。例によって乗 客は殆ど同業者らしく、おもむろにカメラを取出し、写真を撮り始めた。 列 車の中に荷物を置いた 後、先程の朱鞠内郵便局で貯金をする。田舎には似付かわしくない都会的な作 りで、出来たばかりな のか何処となく新築の匂いがする。(こんな山奥の郵便局を建て替えたりして 、果たして利用者はど れくらいなのだろうか。)

線路際の設備などを観察しながら駅に戻ると、ちょうど発車時刻になった。 折り返しの同業者の皆 様約二〇名と地元の老人約五名を乗せて7733Dはゆっくりと朱鞠内を後にした ……と駅構内を離れた とたん、非常ブレーキで停止した。何でも踏切の遮断機の棒が折られて、線路 上に落ちていたとか。 一日六回しか閉まらない踏切でこのようなことがあるとは……。処理のため数 分停車の後、発車した。 朱鞠内の集落が切れると、辺りは白樺の原生林が広がるのみである。何しろ、 朱鞠内の集落の外れに ある湖畔を出ると、次の北母子里迄、一八・三キロ走らないと駅が無い。本州に もこのような林がある かもしれないが、人の気配が感じられないだけでなく、現に本当に誰も住んで いなく全く人の手が加 わっていないのだから凄い。かつては蕗ノ台、白樺という、冬期は休業する駅 があったが、入植者が 去ってしまった今は廃止されている。北母子里までの三〇分はこんな景色が延 々と続いていた。

北母子里に着くと地元の老人が七、八人乗車してきた。名寄で通院などの用 事を済ませてから帰る のだろうが、一六時〇〇発の深川行まで列車がない。ちなみにその次の一八時 五六分発の朱鞠内行は 最終列車!。朝の深川発の5721Dと比べればましだが、この程度の利用では鉄 道の存続は危ない。

途中の無人駅は除雪すらままならない状態だった(添牛内)(左)
限界まで列車が削減されてもう余命が短い事を暗に告げている朱鞠内駅の時刻 表(右)

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