流氷の町網走
網走では流氷観光砕氷船に乗る。砕氷船乗場までは送迎バスが出ているが、
僕は砕氷船乗場に行く まで、その存在を知らなかった。よって、歩いたことになるが、駅から徒歩二
〇分と、歩けない距離ではない。砕氷船乗場近くの交差点までくると、視界に流氷に埋め尽くされた
オホーツク海が広がった。ここ数年、暖冬が続き、流氷も少なかったようだが、今年の道東は稀に見
る寒さだったとの事で、あたり一面、厚い流氷で埋まっている。 砕氷船乗り場で、乗船手続きをし
ようとすると、今日は流氷が密集していて危険なため、氷を割って沖に出ることが出来ないので、港
内航路になるとの説明があった。港の外に出られないのなら乗っても意味がないと思ったが、せっか
く網走まで来たので、乗ることにした。先月、ここの砕氷船が流氷海に閉じこめられ、脱出不能にな
る事故が起きており、慎重になっているのかもしれない。
一四時〇〇分、「おーろら号」(四九一d)は岸壁を離れた。とは言っても
、防波堤の外に出ることはなく、港の入口付近の流氷に五〇メートルほど突っ込んだかと思うと、後
退、また別の氷に突っ込んでは後退を繰り返している。
「面白くない……。」
もちろん流氷の状態のいい日は氷を割って沖に出るので、沖に出るか否かは運
次第のようだ。
今年の道東は例年にない寒さで、網走はぶあつい流氷に覆われていた。
2月には流氷観光船が流氷海に閉じ込められる事故も起きた
夜の釧網本線
流氷にふられてヤケになったのか、ケンタッキーフライドチキンで夕飯を食
べる。(あぁ、また予 算オーバー。)ここで、先程の砕氷船乗場の売店で買った絵はがきに記入をす
る。切手を何枚か持ってくれば、絵はがきを投函できるので、安い割には、いい土産になる
今日の風呂は、駅前の「ホテル美園」で済ませる。何の変哲もない、ビジネ
スホテルだが、「全国駅前銭湯情報」(銭湯を愛する旅人の会 編)に載ってから、我々の同業者が
結構利用しているようだ。もっとも、入口には「風呂、サウナ」の看板が出ており、風呂のみでも気
兼ね無しに利用できる。またコインランドリーも併設しており、夜行の<オホーツク>に乗るときは便
利な存在だ。夕飯を食べ、風呂にも入ってサッパリした気分で一八時〇二分発釧路行4741
Dに乗る。キハ54の単行だったが、車内は元は特急に使われていた、簡易リクライニングシートが集
団見合い型に固定されており(座席はリクライニングするが、回転はしない)、中央の四人席には大
型のテーブルが備え付けられている。キハ54に、この種の車があったとは知らなかった。居住性は、
まずまずだが、オリジナルの窓割りとシートピッチが合わないのはこの種の改造車の宿命で、この車
も苦労して窓割りを合わせたようだが、二列ほど「柱と睨めっこ」の席がある。
4741Dは学校帰りの高校生と若干の同業者を乗せ出発した。次の桂台でもか
なりの乗車がある。斜里までオホーツク海に沿って走るはずだが、すでに日が落ちており、並行して
いる国道を走る車のライトが見えるだけである。
斜里で高校生は、ほとんど降りてしまい、もう少し先まで帰る高校生数人と
同業者の合わせて8人の何とも淋しい状態になってしまった。峠の麓の緑で、網走行4744Dと交換する。事前に渡された計画書によるとY氏が乗っているはずと、ホームで待ち受けたが、気の毒なほど空いている車内に彼の姿は無かった
。そういえばE氏が一七日に海峡線で架線事故があって、快速「海峡」が遅れて多くの同業者が、
快速「ミッドナイト」に乗り継げなかったらしいから、多分その関係で予定を変更しているのだろう
。旅先でのY氏との一瞬の出会いは淡い夢に終わった。
一八時半を過ぎ、今日は新得で「おおぞら返し」なので睡眠不足になりそうな
ので、とにかく眠ることにした。
峠の麓の緑で交換待ち中のキハ54
Y氏との一瞬の出会いは夢に終わった。
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