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佐久間線の現在〜その2

 大築堤の脇を通りながら、国道に戻って先に進む。船明トンネルから出てきた路盤はここで第1天竜川橋梁で、一旦、天竜川を渡り、右岸に移った後、湖面に残された橋脚が有名な第2天竜川橋梁で左岸に戻り、国道を越えた所が相津駅となる。この第2天竜川橋梁の橋脚が今回、歩道として復活する事になった。

 船明ダムの脇をぬけると国道も船明トンネルに入るがここはトンネルに入らずに左折し、一旦ダム湖を渡る。路盤も一緒に第1天竜川橋梁で渡っているはずなのだが、事前の情報では、橋脚は撤去されてしまったとの話を聞いていた。小高い丘から見てみると、船明トンネルの出口が見えており、湖面に橋脚の姿はなかった。帰りがけに国道側からも構造物を探してみると、切り通しなどが見えており、ここの延長線が路盤にまちがいない。国道がS字を描いている所をまっすぐに湖面を横切る予定だったようで、公団線独特のダイナミックさがうかがえる。


(左)第1天竜川橋梁の佐久間側を望む。
橋梁の橋脚は撤去されたが付け根の構造物が確認できる
(右)同じく二俣側。口を開けているのは
船明トンネルの佐久間側出口

 

さて、道路の方は車1台がやっとの細い道で小さく山を越える。この先で工事中の橋を見下ろせそうだし、今回の再整備の目的になっている現在の漕艇場もあるので、このまま右岸の道を進んでみる事にする。細い道をそのまま進み、一番高くなっていくあたりで湖面を覗くと未成線の橋脚に乗せられている真っ赤なアーチが見えた。あのアーチは一旦、地上で組み立てられてから、押し出すようにして橋脚に乗せられているようである。橋脚の間に青色の仮橋脚が1基づつ作られているがこれは完成時には撤去されて元の橋脚だけのスパンになるのだろう。

 さて、道路はここから湖面へと下ると少し開けた場所に出る。この辺が漕艇場の艇庫となっている。あいにくこの日は練習している舟には遭遇しなかった。漕艇と聞くとあまり馴染みのないスポーツに聞こえるが、同行の山田氏の出身高校も戸田の漕艇場に近いせいか、漕艇部があったとの事で、盛んなところでは高校の部活さえあるスポーツのようである。アリーナと呼ぶには質素な船着き場があるが、これがリニューアルされて、あの歩道橋のたもとに移るようである。


船明湖にある漕艇場の現在の艇庫とマリーナ
これらが改築され、第2天竜川橋梁のたもとに移る

 さて、一旦国道にもどって歩道橋の反対側のたもとに移動してみよう。このたもとが、相津駅の予定地である。この予定地付近が橋の建設現場となっており、例のアーチの組立工事が行われている。橋脚工事で相津駅跡の高架橋がどうなったか気になったが、写真で見覚えのある背の低い橋脚が、無事に残されていた。道路部分では一旦途切れているが反対側にも残っており、その先には例によって牢獄のような閉鎖工がされているトンネルの坑口が見えている。


(左)相津駅跡に残る、これも有名な短い高架橋
(右)相津駅の予定地は遊歩道のアーチの組立現場となっていた

 

 国道にもどって船明湖沿いを路盤が完成していた区間の終点に近い横山へと向かう。道路は車も少なく快調に飛ばすが、路盤は姿を現さない。このあたりは全長1905Mの相津トンネルで抜けており、その次は全長943Mの谷山トンネルで抜け、第3天竜川橋梁を渡って横山駅となる予定であった。国道もダム湖の脇をくねくねと走るが、しばらく行くと突如谷間に集落が開けた場所に出て、天竜川を渡る。この付近が路盤の整備が施された区間の終点であるが、天竜川を渡る付近には橋脚やトンネルの坑口といった構造物を認めることはできなかった。谷山トンネルを出てから100Mちょっと明かり区間を進んでいたようだがその路盤跡を見つける事はできず結局このあたりで取材時間がタイムアップとなってしまった。手元の資料ではこの先、峯山トンネルに入るが未着工となっている。この先は雲名トンネルを抜け、天竜川の左岸に移りった後はそのまま進み佐久間へと至っている。取材した二俣〜横山間の全長は13.4Km、着工した区間は7.8Km、未着工区間は5.5Kmであった。

 


(左)歩道化工事中の第2天竜川橋梁左の付け根が相津駅予定地。
組み立てられたアーチは青い仮橋脚を通してコンクリートの橋脚に載せられるようである。
(右)横山駅予定地。遺構を見つける事は出来なかった。

佐久間線の今後


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