佐久間線の現在〜その1
調査したのは1999年3月4日。この日は前日までサークルの旅行で城崎に行っており、その帰りである。城崎には後輩の車で行っており、城崎から1日かけて東進、天竜二俣駅の駐車場でビバークした。天竜二俣駅は思ったよりも開けた所であり、天竜浜名湖鉄道の本社(と言っても駅舎に接した平屋の質素なものであったが)が入っている。明け方になると、どうやら通勤時間になったらしく、ディーゼルカーが忙しく入れ替えする音がする。カーテンを開けてみると高校生が多数行き来している。すっかり朝になってしまった。
同乗者が起きる前に、ひと通り天竜二俣付近の路盤の調査をしておく事にする。天竜浜名湖鉄道の車庫を見ながら東側へと歩いていく。佐久間線は県道と交差するあたりで、分岐するはずであったのだが、どうも面影がない。それにどのガイドにも書いてある駅から至近のトンネルも見当たらない。仕方がないので駅に引き返す事にした。駅に引き帰す時、街並がおかしいのに気づく。周囲に新しい家が多くそれが細長く続いているのである。そしてそれは、天竜二俣駅から路盤が左に分岐していくように分かれていっている。未成線大全科には造成中とあったが、これらが完成して住宅となったようで、どうやらこの付近は国鉄清算事業団が用地を売却したのだろう。
(左)展示車両が並ぶ天竜二俣駅構内
(右)二俣駅周辺の用地は売却され、住宅が建っていた
さて、一旦、二俣駅に戻って車での移動に切り替える。まずは先ほど見つからなかったトンネルを探して見ることにするが、先ほどの新しい住宅の列の延長線を頭の中に描いて探してみるとあった。こちらもトンネルの前に大きな施設が造成されてしまっていてなかなか見つけにくくなってしまっていた。
(左)竹林に埋もれていた白山トンネル
(左)白山トンネルの二俣側入口の路盤には公共施設が
天竜二俣駅に戻って、一旦市役所に寄った後、先ほどのトンネルの先を見てみる。国道152号を天竜市内でいったん佐久間方面ではなく、国道362号方面へと右に分岐する。すると、しばらく行くと築堤の路盤と交差するはずである。100Mも走らなかっただろうか、路盤はすぐに発見できた。道路からみて、左右から築堤が続いており、道路と交差部には橋脚の基台が見える。残念ながら桁はかかっていなかった。この交差する点の佐久間寄りの道路傍が、山東駅の予定地である。空き地に車を止め、築堤によじのぼって二俣側を見る。路盤はゆるやかなカーブを描いており、立派な築堤が残されている。やはり 道との交差部付近が駅の建設予定地のようで、用地も広くとってある。おそらく道路から階段で上った所がホームとなったのであろう。
(左)山東駅から二俣側を望む。右に弧を描いて路盤が残っている
(右)山東駅予定地付近の築堤。天竜市の市街地はこの駅が近い
152号に戻って、先を旅する。路盤は山東駅からフ船明駅の先の船明トンネルまで国道に沿って続いているはずである。しかし、道路からは路盤は見えてこない。どうやら少し内側を走っているようである。船明駅の予定地にも行きたいので、ここで国道152と別れて、右斜めに分岐する細い道に入る、この辺で少々迷ってしまったが、車一台が通るのがやっとの道をくねくねと抜けていくと突如路盤が現れ、アンダーパスする。地図で見ればちょうどこのあたりが船明駅の予定地のようだ。
(左)天竜は漕艇の町。市役所にもボートが飾ってあった。
(右)佐久間線独特の牢獄のような閉鎖工がされている船明トンネル
車を止めて路盤に上ってみると、なるほど心なしか路盤が広くなっている。そしてその佐久間寄りが船明トンネルの入り口のようで、佐久間線独特の牢獄のような閉鎖工が象徴的なトンネルの坑口が口を開けていた。おそらくこのトンネルのもとと思われるが、呼子線の調査に行った時、担当者のファイルに安全処置の事例として、この閉鎖工の写真を見た覚えがある。思わぬ所で再会となった。
Thank you for your watching! This contents is produced by KUZUWADA-NET |
Copyright1999 KUZUWADA-NET |