美幸線は宗谷本線の美深から仁宇布、志美宇丹、歌登を経て興浜北線の北見枝幸に至る予定だった全長78Kmの路線である。そのうち美深−仁宇布間は1964年(昭39)に開業している。仁宇布から先は1965年(昭40)年に着工され、1976年(昭51)に大部分の路盤工事が完成し、レールの敷設が始まった。美幸線はほぼ100%完成していたと言われており、本当に開業まであと一息という所で昭和55年を迎え、凍結されてしまった。興浜線と同様に既開業区間の実績はかんばしいものではなかった。当時の美深町長が日本一の赤字ローカル線物語を執筆し、自ら乗車券も売った事が有名であるが、存続運動の甲斐もなく美幸線の既開業区間は1985年(昭60)9月に廃止されてしまい、未成線区間とともに歴史に埋もれてしまった。
美幸線は枝幸側から見て行く事にする。興浜線を一通り見て、枝幸に着いたのが14時少々前だった。北見枝幸の駅跡は比較的簡単に見つかった。バスターミナルがある場所の向かいがそうである。(バスターミナルの2階には鉄道資料館もある)公園はあまり駅であった雰囲気を残していないのだが、公園となっている駅跡の横にある食堂の看板を見てギョッとした。(な、なんと駅前食堂、ウチのサークルの先人が曰くにはここの塩ラーメンが美味いとか、我々は残念ながらお昼を済ましてしまった後であった。)
(左)北見枝幸駅跡は公園になっていた (下)鉄道のなごりを伝える駅前
枝幸の市街地から戻るような格好で国道238号を走り、道道27号歌登方面へ右折する。美幸線の枝幸市街地は高架だと聞いていたのだが、取り壊したのだろうか、目を凝らしても見当たらない。手元の地図では、右折してすぐに路盤を越え、興浜線を分けた路盤が左手に見えるはずなのだが、少々距離があるようで見当たらない。この先、歌登への峠に当たるまでは中途半端な距離を保つようで、側道に入らないと見つからないのだろう。おそらくこの付近が下幌別駅予定地である。この先は歌登まで駅は設けられない予定だった。 本当に路盤が見つかるのかと思いながら、更に走っていくと峠が険しくなったあたりで右手に落石覆いが現れた。初めて見る美幸線の構造物である。
歌登に向かって峠を越える際に発見した覆道。
かつてこの付近には歌登村(町)営軌道も走っていたが、立派な構造からして美幸線のものとみていいだろう。歌登の市街地に入り、今度は美深へ抜ける道道120号へと左折する。この左折したあたりの左手が歌登駅予定地である。さて、道道120号に入るといよいよ路盤と沿うようになる。路盤はどこかと探していると道が意味もなく坂を越える。!?と思って跨ぐ主を探して見ると下に美幸線がいらっしゃた。道道が美幸線をまたぐ所で車を止めてオーバークロスを覗いて見た。跨いでいるのはしっかりした路盤というよりはもうすでにバラストまでが敷いてある。レールを剥がされた廃線のようであるが、ここは1度も列車が走った事のない線。「未成線」である。先人によれば、美幸線はレールが敷いてあると聞いていたのだが、この区間はバラストだけのようである。あるいはレールは撤去された後なのかもしれない。このあたりが辺毛内の駅予定地付近である。今度は美幸線が頭上をオーバークロスし、また左手に移り立派な築堤で進んでいく。この先で道路は志美宇丹へと軽く峠を越えるが美幸線は志美宇丹トンネル(1467m)で抜ける。峠を下り、まとまった集落に入れば志美宇丹。更に5Km程行くと道道は乙忠部へ向かう道道1023号(4ケタだが舗装された立派な道)と分岐して右にそれる。
(上)道道の下を美幸線がアンダーパスする。
(右)同じ個所の路盤を道路上から見る。
路盤はバラストまで敷かれている。
レールは敷かれていたのだろうか。
(辺毛内付近)
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