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熊谷駅を降りたら、南口(秩父鉄道の改札口の方)へ出る。自転車をどう調達するか、問題になるが、携行してきた方は駅前広場の端ででも組み立ててもらいたい。自動車で来られた方は南口周辺にはバブルの爪痕!?の500円駐車場があるので、空きを探してほしい。

さて自転車の用意が出来たら、出発となる。まずは新幹線下の側道を高崎方面へ向かう。途中で線路直下に道路のアンダーパスを建設しているため、道路が規制されている場合があるが、その辺は上手く迂回する。上熊谷駅前でちょっとクランク型に曲がるが、そのまま、新幹線の高架下を走る。右手には高崎線と、秩父鉄道がY字形に別れる所の踏切りがるが、そこをちょっと覗いてみてもらいたい。秩父鉄道は全線単線のはずなのに複線同士が別れている。もっともそのうちの1本のレールは錆付いているが、秩父鉄道と共に左に分かれ行く錆付いた方のレールこそが東武熊谷線の廃線跡である。

さて、線路の側道を再び高崎方面へ走り、次の踏切(上熊谷駅を出た所から数えて2つめの踏切)を右折する。踏切りを渡った所から遊歩道(かめのみち)が始まっているのが分かると思う。踏切の上から見ると、ここで、秩父鉄道と遊歩道と化した熊谷線廃線跡が分かれて行く様子が分かる。途中、高崎線とのクロス部だけが途絶えているが、後は妻沼まで、ずっとこの廃線跡道路をたどっていく事が出来る。

ちなみに「かめのみち」の「かめ」とはかつて熊谷線で働いていた2000系気動車が「かめ号」の愛称で親しまれていた事に由来する。

熊谷線には石原駅はなかったので、そのまま築堤を登って高崎線をまたいでいたようだが、今では築堤は崩され、高崎線とのクロス部直前にわずかな丘が面影をとどめるのみだ。先にも述べたとおり、かめの道は高崎線をまたいでいないので、この区間は付近の道路を迂回しなければならない。一旦この丘に登って位置感覚をつかめば、対岸のかめのみちの位置もすぐわかるはずだ。

高崎線と国道17号(旧道)を越えしばらく行くとかめの道は途絶え、普通の道路として整備された区間に出る、ただ、ここはまだ整備中のようで、すぐに更地というか、砂利道に出る。この付近、どうやら東武鉄道からの貸与で道路が作られているらしく、未整備の更地は、砂利道状になり、暗黙の了解(というか誰も文句を言わないのだろう)として付近の家の車が止めてあったする。

この先の熊谷バイパスを跨ぐ手前が、大幡駅があった場所のようである。熊谷−上熊谷間はすぐだったのに、結構、駅間が長い。この次は終点の妻沼となり、実際は中間駅は1つしかないに等しかった。

しばらく行くと国道17号の熊谷バイパスと立体交差している。熊谷バイパスは十数年くらい前に全通したような覚えがあるのだが、東武熊谷線の廃線は1983年(昭58)、工事の途中ではまだ熊谷線は存在していたのかもしれない。今は跨がれる主を失い、道とも更地ともつかないものが下を潜っている。

奈良の付近からは、今度は立派に整備された自動車道となる。この先は歩道も整備されているので、自転車でも走りやすいだろう。10分ほど走ると、終点の妻沼に着く。熊谷線が廃止されてからしばらくはバスターミナルとして機能しており、かつては駅舎もあったのだが、今は駅舎は取り壊され、防風林と若干の線路柵等が残るのみである。

道路は妻沼駅の先も続いている。この先、熊谷線は東武小泉線の終点の西小泉まで続く予定だったが、開業できなかった未成線の区間になる。

そのまま道をまっすぐに進むと、1Kmほどで、利根川の土手に出る。かつてはこの河川敷に、桁の架かっていない橋脚が並んでいて、この先に鉄道が延びる事を語っていたのだが、今は全て撤去されてしまい、対岸の妻沼側に1基が残るのみである。

さて、川に向かって左手には407号の刀水橋も見えるので、そこを渡るか、5Km程下流の葛和田まで走って、赤岩渡船で対岸に渡るかの選択になる。渡船が運行されているかどうかは、葛和田まで行って対岸に赤旗が立っているかどうかを見なければ分からないので、ここでの決断が重要になる。ちなみに僕らの取材の日は1997年の大晦日。天候は風が強いので、心配だったが、葛和田まで追い風に乗って突っ走って見ると、赤旗が立っていない。そして、安心して手を振ったのだが、一向に船が来ないのでおかしいと思って小屋の掲示を見ると、年末年始は運休だとの事。結局激しい向かい風の中刀水橋まで戻るハメになった。

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踏切の所で途切れているのが熊谷線の跡。
左手が秩父鉄道、右手が高崎線で
上熊谷駅は秩父鉄道との共同使用駅だった。

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秩父鉄道の分岐点からはかめのみち
として整備されている。かめとは

かつての車両の愛称であった。

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大幡駅跡付近からは砂利道
になる。北風に吹かれて
苦しいサイクリングになった。

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奈良付近からは整備された
道路に妻沼はもうすぐだ

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妻沼駅跡地防風林。往時の
面影を残すものはわずかだ。

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妻沼駅跡のソテツの木と
安全第一の緑の十字

一周ルート

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赤岩から迎えに来た渡船。
県道なので乗船は無料だ

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ご覧の通りの大きさで、自転車や
原付程度なら乗せる事ができる

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付近はグライダーの滑空場
でもあるので中を舞うグライダー
の姿を見る事もできる。

さて、では赤岩渡船に乗る経路の方を案内しよう。埼玉側の渡船場の葛和田へは土手をそのまま下流へ下るのみである。左手の景色がゴルフ場から、グライダーの滑空場になれば、葛和田はもうすぐである。大学の長期休業中は各大学の航空部が集中的に練習するらしく、天気がいい日には毎日のように、離着陸を繰り返すグライダーを目にする事が出来る。

左手の滑走路が途切れ、ソフトボール場とちょっとした駐車場が見えるはずだ。そして、右手からやや広い、舗装された道が土手に登ってきて下っていく。その道を土手の中に下っていけば、荒野の中にポツンと立つ葛和田のバス停だ。バスで来た方もここに降り立つ。さて、河川敷に続く道を行くと、小さな掘っ建て小屋が立っているが、ここが渡船場。渡船場といっても舟はないので、戸惑うかもしれないが、ここは手を振って対岸の舟を呼ぶのだ。小屋の下に桟橋があるので、その付近の岸に立って大きく手を振る。船頭さんは小屋の中でお茶でも飲みながら川を見ているので、運が良ければ5分、長くても15分も振れば気付いてくれる。

さて、よく目を凝らすと見える対岸の小屋から人が降りてきて河川敷に立てば、どうやら気付いてくれたものと分かる。まもなくエンジン音が鳴り響き、小型漁船のような舟というか船が、こちらに向かってくる。

船が接岸されると船頭さんが出てきて鎖を外し、「乗りな」と言ってくれるはず。(僕らは顔を覚えられてしまったのか、この前は船が近づいてくると、船頭さんは接岸する前にロープを投げ、「引っ張れエー。」との事。)ここで、自転車や原付も無料で乗せる事ができるので、そのまま乗せさせてもらおう。

対岸まではすぐである5分もしないうちに着いてしまう。

前々から試しているのだが、車で来て、ここで同乗者を降ろし、5キロ下流の利根大堰を渡って対岸の赤岩までだいたい20分ちょっと、しかし大概は手を振って船を呼んだ方が早い。意外と馬鹿に出来ないものだ。

廃線ルート

熊谷線は西小泉まで延長される予定だったが、結局は夢は果たせずじまいだった。かつては利根川には橋脚が並んでおり、露骨に未成線である事を物語っていたのだが、今は跡形もなく撤去されてしまった。僕が確認した限り、土手沿いを少々下ると左手に野球場があるのだが、その付近に1基だけ橋脚が残っていた。熊谷線のものかどうか怪しかったのだが、橋脚に向かって築堤も残っているので、間違いはないだろう。築堤の先は公園になってしまい、どこが用地だったのか分からなくなってしまっていた。

その後の計画で、熊谷線延長に使われる目ろみだった、仙石河岸貨物線の廃線跡は遊歩道として整備されている。場所は西小泉の駅から真っ直ぐに伸びる三洋電機の工場横の、ハナミズキ並木の道である。この道をたどって行くと真正面が西小泉の駅で、その末端の線路はあたかも先の遊歩道へ伸びるようになっている。その先の遊歩道はかつて仙石河岸貨物線があったものだが、熊谷線もここを利用して伸びる予定だった。

吉野氏も赤岩渡船乗船紀で書いていたが、夕刻の西小泉駅は付近にいる人のほとんどが外国人で、一体日本人は何処へ行ってしまったの?と言いたくなる。付近には三洋電機の工場があり、その関連の従業員らしいのだが、皆日本人以上に身なりが良く、マウンテンバイク(しかもかなり高そうな)でご通勤と、何か僕らが考える出稼ぎの労働者とはイメージが違う。

吉野氏によれば、この人たちは日系のブラジル人のようで、大泉町における日系ブラジル人は町の人口の一割を占めるようだ。

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唯一残った未成線の利根川橋梁の橋脚

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仙石河岸貨物線の跡は
遊歩道として整備されている

一周ルート
さきたま風土記の丘

渡船場から、利根大堰までは土手上に道路があるので、風に吹かれながらここを走るのもいい。しかし、土手上は最近新しい砂利を入れたのか、玉砂利風になっていて、自転車では非常に走りにくい。土手に登ってみて、走りにくいようだったら、渡船場から土手を下る道を出て最初の交差点を右に曲がって土手と並走する県道を走った方がいいだろう。

5キロほど下ると、利根大堰に出る。利根大堰は雄大な坂東太郎を塞き止め、武蔵水路、埼玉用水、見沼代用水、邑楽用水に水を供給する。武蔵水路は利根川と荒川を結び渇水期の荒川の水を補完し、東京の水源となっている事で有名だ。

ここからさきたま風土記の丘までの、7キロちょっとは武蔵水路の側道を走るが、ここが、狭い上に急カーブが連続していて更に、館林、足利方面国道17号を結ぶ道のため、大型のトラックが多く、死にそうになる。しばらくすれば、自転車専用道になるのでここはなんとかしのいでほしい。

行田市の市街地付近になると、県道は一旦武蔵水路をまたいで、対岸に渡るが自転車はそのまま左岸を直進すれば、追い抜く車におびえずに済む。途中で砂利道になるが、農道として、さきたま風土記の丘まで続いているので安心してほしい。

左手に小高い丘がたくさん見えるようになるが、ここが「чチ多支鹵(わかたける)大王」の文字が刻まれた鉄剣で有名な稲荷山もあるさきたま古墳群だ。付近はさきたま風土記の丘として整備されており、自転車に漕ぐのに疲れたら、自転車の園内乗り入れが可能なので、覗いてみるといい。もちろん無料だ。また、稲荷山の鉄剣を収めた県営のさきたま資料館も今時100円以下の破格の値段で見る事が出来る。ちなみに、この付近の地名は「埼玉」と書いて「さきたま」と読むが、ここが埼玉(さいたま)県名の発祥の地であり、資料館の前に埼玉県名発祥の地の碑が立っている。

さきたま風土記の丘から北鴻巣駅までは遊歩道が整備されている。歩道とサイクリングロードの単線並列!?で、歩行者を気にせずに快走できる。熊谷バイパス、上越新幹線を越えれば、北鴻巣駅はすぐだ。国道17号をオーバークロスすると、野球場に吸い込まれるように遊歩道は終わっているが、突き当たりの細い階段を上ったところを右に曲がって橋を渡り、真っ直ぐ進むと正面が北鴻巣駅である。

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